春一番が吹いたのでしょうか!?粋舩blog
春一番は古典から現代まで
春一番が吹いたのだろうか
とても風が強く
雲が爽快に西から東へと駆けて行っていた
まだ節分の訪れてはいないけれども
なんだか春に向かっていくような気配の一日でした
古典から現代までで考えると、現在の暦に移る以前は、月の動きで季節を捉え、自然界の営みを見て季節を感じていたのだと思いますけれども、現在の暦は地球の季節の移り変わりと年や季節によって少しズレがあるように感じます。もちろん地球温暖化や気候の変動による影響はあるとは思います。けれども現在の暦は、世界中で同じ日付を共有して会話や情報の交換が快適に行われています。
世界中の人との交流で考えると今の暦は最適でしょう。一方では自然の営みを感じて表すには旧暦の方があっているように思います。
旧暦には四年に一度の閏月はありますが、基本的には一年に12の月があり、その中には24の季節があります。それを二十四節気と呼びます。さらに細かく七十二候というものも存在しています。ほぼ五日刻みですね。これは一週間よりも短い単位です。
二十四節気と和の音空間デザイン
この二十四の季節にはそれぞれの季節を感じる音があるはずです。
春夏秋冬の中に移り変わりの季語や風情があるかと思います。それらは24の季節の中で表せるものも多いのではないでしょうか。
粋舩ではその音も和の音空間デザインとして考察して行こうとしています。
二十四節気(にじゅうしせっき)ですけれども、国立国会図書館のウェブサイトにも情報が載っていて、二十四節気の本(amazonより)もそれなりに出ていたりします。
京都サウンズも季節によって移り変わるのでは!?
京都という1200年以上も季節の移り変わりを楽しむ生活を築いてきた土地なので街中を探せばそれらの音が見つかるはずと思っています。
もちろん山林や農村部に豊かに存在している二十四節気で移ろいゆく自然の音には及ばないものがあるとは思いますが、人々が長い年月をかけて作り上げてきた音があると思います。
それらはどんな音なのでしょうか!?季節による気温・湿度の違いの中でも、水の音は変化していき、私たちはそれを聴いて感じています。
アンプとスピーカーのなかった長い年月の間に、京都で暮らす人々は日常の生活の中で音を楽しむことをプロデュースしてきたのではないでしょうか。京都サウンズは何年にも渡る個人の感性の集積でもあるのかもしれません。